江戸川柳の世界 下り酒|その2

石川道子

はじめに

前回に続き江戸の酒について述べたい。

現在の日本酒のルーツと近世の江戸で愛飲された下り酒の流通システムおよび酒の銘柄等について触れたので、今回は江戸の地酒と酒屋について柳句をみながら話を進めたい。

1.江戸の地酒

江戸で消費される酒の大部分が上方から送られた下り酒であったことは前回述べたが、江戸周辺で造られる酒ももちろんある。

有名なのが「隅田川」や「都鳥」、「宮戸川」である。

隅田川ならば飲もうと夕涼み (ケイ十六甲4)
ありやなしやとふってみる隅田川(三二4)

後の句は『伊勢物語』から。東下りをした在原業平が隅田川で詠んだ「名にしおはばいざ言問はん都鳥わが思ふ人はありやなしやと」をベースにした句である。

いざこと問わん一升はいくらする(七三13)

こちらは都鳥の方であろう。

都鳥飲んで足まで赤く成り (一一六33)

吾妻橋から上にいるカモメを特に都鳥と称し、足が赤いといっていたというが、これはどうだかわからない。都鳥と名前は雅やかだが、平たく言えばユリカモメのことだそうである。

都鳥池田伊丹の上をのし (宝九智3)

上方酒もいいが江戸の酒も勝るとも劣らないと負けていない。

江戸は大消費都市であり、日常生活必需物資は主に上方からの移入に頼っていたことは前に述べたが、江戸も中期になると、この方針に少し変化が出てきた。

陸奥白河藩主松平定信が老中となり寛政の改革(1787-93)に乗り出した。それ以前の重商政策を転換して、農村の復興、市中の風紀の粛正他の政策のなかで、上方からの移入に頼っている酒を江戸で生産するという。

定信の著した「宇下の人言」に次のようなことが述べられている。

西国辺より江戸へ入ってくる酒はいか程とも知れず、これがために金銀が東から西に移るのもいか程とも知れない

といい、江戸と上方の貨幣流通の不均衡を是正しようとしたのである。そのため上方酒造業の統制を強め、このころ上方から江戸に送られていた年間70~80万樽の酒を40万樽に制限した。

上方の酒家は当然困ったことになったと思ったが、そのうち、江戸の酒造りは定信の思惑通りには行かず、失敗した。やはり長い歴史のなかで培われた酒造技術は一朝一夕には習得できなかったようである。

間もなく定信は老中職を辞任(寛政五年=1793)。文化期 (1804~) にはいると、諸国豊作が続き、近世を通じて江戸入津樽数が最高の100万樽という時期を迎えるのである。

2.酒の値段

酒の値段といっても時代によって異なるので一口にはいえないが、明和より文化期(1764~1817) に作られた句によって、庶民が口にした酒のおよその値段を知ることができる。

享和元年(1801)版一九の「恵比良の梅」に「極上三十二文、次が二十四文、下が八文」とある。居酒屋で呑む1合の酒の値である。

柳句は、下り酒の句の趣とは違いこの手の酒になると、とたんに他人事となり、いかにも安手の酒を呑んでいる田舎者といわんばかりの作句態度になるのである。自分が呑んでいるという句は先ずないのもおかしい。

八文が飲む内馬は垂れている (三17)

馬子が呑む安酒である。

八文なげて口取は追っかける (安八鶴4)

柱に繋いでいた筈の馬が急に走りだした。酒呑んでる場合じゃない、と酒代を放り投げて追いかけて行く馬子である。

十二文が酢を下戸に振舞われ (三一4)

1合12文の酢だか酒だか、何だかわからない。

夕立に困って下戸も十二文 (三八19)

夕立で駆け込んだところが酒屋。下戸とはいえ注文せざるを得ない。

八文が飲み飲み根掘り葉掘り聞き (明六礼5)

いかにもありそうな情景である。

3.居酒屋

居酒屋といえば、簡単な肴で酒も呑ませ、煮売り屋も兼業している店が多く、煮魚もあれば芋の煮ころがしなどでご飯も食べさせたようである。

江戸の居酒屋はどうしてか店頭に鶏の皮羽だの魚だのを釣り下げていたことが次の句でわかる。

鶏の羽衣居酒屋の軒へさげ (八一19)
杉の葉はなくて軒端にかしわの羽(八三72)
あご 居酒屋は腮をつるすを見へにする(一六〇35)
あんこうも飲みたそうなる居酒店 (八六29)
村の酒屋は、 村酒屋軒へ天狗の巣をつるし (四六29)
田舎生酔杉の葉の内で出来 (天二天1)
杉の葉の中からせなあよろけ出る(二七22)

とあるように、酒屋の印に杉玉をつるした。天狗の巣は杉の葉の比喩。せなあは田舎の兄さんの意である。

居酒屋とちがい小売だけをする酒店もある。

居酒をば仕らずとむごく書き (六6)

また酒店は酢も扱っていた。

酢のわけを聞いて酒屋の内義起き(七21)

酢は料理に使われるほか、産婦に嗅がせる気付け用として用いられた。夜中に産気づいたので、急いで酒屋の戸を叩いたのである。

おれだよと酒屋を起こす高慢さ (九30)
起きて居て寝たふり酒屋上手なり(七16)

閉店後起こされることもあったであろう。

4.酒屋のご用

酒屋といっても大店も小店もある。問屋も小売店もある。問屋は上方の出店も多い。江戸店の雇用人の多くが上方で採用され江戸へ派遣されていた。呉服店なども同じである。

呉服店何やらいうと持って来る (六9)

江戸者には上方言葉がわからない。

けちな呉服屋いふ事が皆わかり (一六七28)

江戸者が経営する呉服屋の奉公人は当然江戸近辺の者である。話す言葉も変てつもない東言葉。売っているものまでが軽く見える。

そこへいくと、上方出身者の大店で商っているのは上方から直送の下り物、いわば舶来品である。お店者の言葉まで何やら高級に聞こえたようである。

さて、川柳で詠まれている酒屋の奉公人は、小僧が多く、句も多い。注文の酒を届けに行ったり、町々を回って空き樽を回収するのが仕事。空き樽を集めると同時にあちらこちらの町のうわさも仕入れていてなかなかの情報通である。こまっしゃくれた困り者だが、いっても子供か半大人である。うまくおだてればちょっとした走り使いくらいには使える、というのが川柳の酒屋の小僧の姿で、「樽拾い」あるいは「ご用」といわれ、川柳界の人気者である。

色文を拾って御用百に売り (一〇3)
間男を御用百にて他言せず (一三9)
くどくのを御用見てゐて叱られる(末二15)
樽拾い危ない恋の邪魔をする (一30)

ラブレターを拾ったり、間男を見かけ、その口止め料を要求したり、ワルい奴だが、100文ばかりで手を打っているのはやはり子供である。

天に口なし樽拾いふれ歩き (一五7)

こんな男の子、どこかでみるような光景である。悪気はないようだけど、困るのである。

熱い茶を飲んでて御用叱られる (一一34)

何のかのといってもそこは奉公人、熱いお茶を飲んでいるような悠長なことをしていては叱られるのである。

いんぎんに聞くと御用はつれてゆき (明三礼2)
さがり取御用ここだと連れて来る(一一25)

さがり取りは茶屋などの勘定を取りに来る掛け取りである。やさしく尋ねられると、ここだよと親切に案内して来た。きっと後で叱られるのであろう。

樽拾い目あいをみては凧を揚げ (一26)
犬小屋を御用目あいをみて作り (安五智3 )

主人や番頭の目を盗んで凧を揚げたり、拾った犬の小屋を作ったり、いじらしいものである。

かわいらしいのに、

元日の御用いいなと褒められる (八17)

という句があり、ほめられて照れている顔がみえるようである。

十五夜の花立て御用取りに来る (二九19)
花活ケで取り集まらぬ樽拾い (八六6)

酒は柄樽やびんぼう徳利に入れて届ける。それを回収に回るのが御用の仕事の一つである。酒屋の徳利に十五夜のススキを指しているので返してもらえない。

よこさずば泣けと古参の御用いひ (八29)

よこさないときは泣け、と先輩御用が教えているのである。

判取りに成ってみたがる樽拾い (傍三7)

判取りは代金や品物の授受のたびに印をもらう店員で、まだ下っ端だが、樽拾いからみれば、樽を探して空き家の路地まで入り込むこともなし、犬に吠えられることも、来るのが遅いと叱られることもない、はるかに上等な店員である。

5.酔態さまざま

酒を呑めば酔う。ほろ酔いというのはきっと気持ちのよいものなのであろう(注:筆者まったくの下戸)。やはり酒は呑んで、酔ってこそ酒であろう。

酒酔いの句も一見の価値はある。

とっさんの生酔いやいと母へ逃げ(一二4)

かわいい句である。子供もこのくらいのときは罪がない。おとっさんも気持ちよく酔っているようである。 しかし、ほろ酔いというあらまほしい酔い方より、本性をなくした酔っ払いのほうが句にはなりやすそうである。

川柳子の視線はへべれけに集まる。

ずぶ六は寝るがずぶ五は手におえず (一〇一37)

正体なく酔っ払ったのをずぶ六という。こうなるとそのうち寝てしまうが、そこまでゆかない「ずぶ五」では、寝るでもなく、酔っ払い特有の泣いたり怒ったり、クドクドクドクド、とにかく始末が悪い。

生酔いを巻き付けてくる下戸の首 (二九2)
くぐりから入れようとして下戸困り(傍二2)

手も足も勝手放題に取り散らかっている。まとまりがなく捕らまえどころがないから小さなくぐり戸からはむつかしい。

生酔を大戸上げろとしょって居る(一〇12)
御亭主を渡しますると下戸の声 (明八義1)

生酔いはずぶ六のことである。下戸とは何とも損な役回りである。 が、もっとひどいのもある。

づぶになるつもりで下戸を誘うなり(九2)

自分が徹底的に呑んで酔い潰れるつもりで、その世話役に下戸を仲間に入れようという、なんともずうずうしい予定を立てている。こうなれば確信犯である。

あげくは、

生酔いを捨てたも罪のひとつなり(一〇25)

下戸としては、どうにも間尺にあわない言われ方である。 こんな酔っ払いだが、つぎの日は二日酔い。下戸にはわからぬ苦しさだとか。

百毒の長だと思ふ二日酔 (九12)
二日酔かぶとを着たる心もち (明元仁3)
二日酔よりとも程な重みがし (明二仁2)

川柳の約束ごととして源頼朝は大アタマということになっている。頭が重い。

酔ったあす女房のまねるはずかしさ(六28)
あくる朝女房はくだを巻きもどし (一七4)

この句、翌朝の亭主と女房の様子を彷彿とさせ、どうにもおかしい。 やはりほろ酔い程度のお酒がよいのだろうが、川柳でみるのは断然「ずぶ六」から二日酔いへのコースのほうがおもしろい。呑むべし、呑むべし。二日酔いを恐れていては川柳もしまらない。

おわりに

近世の酒造業については酒造制度史、経済史、技術史、発掘調査等多方面から論ぜられているが、下り酒と江戸っ子の直接的な体面の場というと、現在使われている史料からはむつかしい。そこで一度使ってみたかったのが江戸川柳である。

もちろん川柳には誇張もあり川柳特有の既成概念もあり、句に詠まれているものと実態とはかい離もあろうが、酒に対する感触はわかる。

江戸の地酒に対する下り酒の人気は句の数からも伺える。にわか雨やおコモさんの着衣に酒樽のこも、というのも事実あったことであろう。

ところがこの「こも」にもブランド志向が表れている。剣菱の「こも」であって、田舎酒のそれではない。川柳の滑けいさには違いないが、根底には銘酒に対するこだわりがみえる。

しかし、酒とは、下戸にはわからぬよいものらしい。

最後に太田しょく山 人の狂歌一首。

世の中は色と酒とがかたきなり どうぞ敵にめぐりあいたい